松浦公紀先生は、モンテッソーリ教育の普及に貢献されて来たお一人です。そのお話や著書は、とても分かりやすいと定評があります。また日本モンテッソーリ教育綜合研究所の講師として、また「松浦学園モンテッソーリ子どもの家」の園長として、これまでにたくさんの人々にモンテッソーリ教育を伝えていらっしゃいました。
松浦公紀 先生
松浦学園モンテッソーリ子どもの家園長。日本モンテッソーリ教育綜合研究所教師養成センター主任実践講師、上席研究員。
『モンテッソーリ教育が見守る子どもの学び』学習研究社、
『幼児のちから』静岡新聞社、
『0歳~3歳のちから モンテッソーリ教育が見守る乳幼児の育ちと大人の心得』学習研究社等、著書多数。
「しつけ」について
– 小さい子どもへの「しつけ」について悩む方が多いと思いますが、長年たくさんの子どもと関わっていらした松浦先生から、モンテッソーリ教育の考えに基づいたアドバイスを頂けますか?
「現場でも家庭でも、基本的に大切なことは同じです。『枠組みを一貫したものとして決める』ということだと思います。」
– 枠組み、つまり大きなルールを一貫するということでしょうか?
(松浦学園 モンテッソーリ子どもの家、全日クラスの様子)
「例えばクラスの現場だったら、これをしたら、先生達が一貫して『それはいけないよ』と言うことです。
枠組みの一貫性
例えばもしも、ある先生は見て見ぬ振りで黙認し、でもある先生は厳しく『それはダメ!』と言ったとします。すると一貫性がないので、子どもはその行為に対して、赤信号なのか、青信号なのか分からなくなり、黄色の信号になるんですよ。そうすると自分の都合の良いようになびいて行くんです。
これは家庭でも同じだと思うんですよ。例えばお母さんは『ダメ』と言うけど、お父さんは別に何も言わない。おじいちゃん、おばあちゃんは全部許しちゃう。というような形になると、やはり何を拠り所にして、何を基準にして生活していけば良いのかというのは、子どもには分からないですよね。
モンテッソーリが言っているように、子どもには『規律』に対して、元々それを受け入れる姿勢を持っているんですよ。」
– ルールが一貫していたり、守らなかった結果を体験したりすることで、少しづつ「守ろうかな」という気持ちが育ってくると言いますね。
「そう。ところが生活する中で、枠組みが揺らいでしまうことで、それがうまく機能しなくなるんです。だから一貫した枠組みがあって、『これはいけない』『これは良い事』と言うものがハッキリするということが何より大切なんじゃないかなと思います。
(松浦学園 モンテッソーリ子どもの家)
子どもは当然、生まれながらにして善悪の判断ができる訳ではないのですが、例えばお母さんがいつもと違う声のトーンで話している、いつもの笑顔が消えて、眉間にしわが寄ってる表情を見ると、『良いことと、悪いことというのがあるのかな』と気付いていきます。
それからだんだん言語が習得されてくれば、『こういうことがいけないこと』『これは良いこと』というのが分かって来ます。そして、さらに良いこと、悪いことがはっきりと枠組みとしてあれば、『しつけ』というのは特に、無理に教え込まなくても、自然に子どもの中に身について行くことなんじゃないかなと思うんです」
(松浦学園 モンテッソーリ子どもの家、先生が傍にいなくても自分たちでしっかりと活動)
小さな子のしつけとは?
– 0歳、1歳くらいの、小さな子どもに対してはいかがでしょうか。
「子どもは無意識の状態から出発します。でも吸収する力は、意識の芽生え以前からあります。0歳台、1歳台の無意識の時期は、ことばでの説明はできないからこそ、行動での枠組みをハッキリさせるべきなんです。
『小さくて無意識でどうせ分からないんだから、どうでも良いんだ。』ではなくて、『この時期だからこそ、いけないことはいけない、良いことは良い』とハッキリさせることです。
彼らは『無意識の内に善悪を経験する段階』なので、それが非常に大切なことなのです。『ことばが分かり始めたから教えようとか、しつけよう』と言うのではなくて。」
– 無意識の赤ちゃんでも伝えて行くということですね。
「そう。例えば赤ちゃんだったら、泣いている時に反応する事は当然必要です。しかし、泣くからと言って、のべつ幕なしに乳首をくわえさせれば良いわけではありません。例えばもしその時、何十分か前に授乳が終わったばかりだとしたら、泣いてもオッパイは与えない、というような「断念の経験」は、やはり必要だと思うんですよね。」
– ご飯の時に遊んで食べなくても、後で泣かれたらお菓子をあげてしまうということは、よくある気がします。
「そうですね。だから大人が言いなりになってしまうことが多いと、『そろそろ、大きくなってきたし、しつけをしなきゃ。』と思っても、もう自己コントロールができなくなってしまっている、というような場合があると思うんです。
それは、本人にとって非常に可哀想なんですよね。子ども自身はそうなろうと思ってそうなっているわけではないので。
子どもの色々な逸脱した行動などが出てくると、大人は当然叱ったりとか、注意をします。それはそれでもちろん必要なことですが、対処療法的なその場の対応では、絶対治りません。」
– その場だけ強く怒るだけではダメなんですね。
「そう。もっとその子どもの内面に響くようなことをしなければ、それは絶対治らないんです。内面に響くためには、無意識のような本当に早い段階から、枠組みが一貫してしっかりしていることが大切だと思います。」
– そうですね。全てはそこから繋がっているわけですね。
(松浦学園 モンテッソーリ子どもの家、一人で数の活動をする子ども)
モンテッソーリ教育はしつけをしない?
– モンテッソーリ教育のよくある誤解として、「“しつけ”のようなことはしない、子どもが中心だから、何でも自由にさせる」ということがあると思いますが。
「モンテッソーリ教育のデメリットとして時々あげられていると思いますが、『子ども中心』ということと『子どもの言いなりになる』ことを混同しています。
子どもの言いなりになると、自己コントロールができない、我慢ができない子どもになってしまいます。そしてそれは、モンテッソーリ教育のいう「子ども中心」とは違います。
でも子どもが色々なものを受け入れることができるためには、『本当に自分が好きなことを、やりたいだけやれたという体験』が必要です。それがモンテッソーリ教育の自由活動ですが、その部分があるからこそ、『これはいけないことだよ。』『ダメだよ。』と言った時に、我慢したり受け入れたりすることができるんだと思います。」
(松浦学園 モンテッソーリ子どもの家、グループで色の活動をする子供たち)
– 「子どもが尊重されているから」ということですね。
「でもやりたい放題させ、何でも子どもの言いなりにしてしまったら、ただ我慢ができない子どもになってしまうのではないでしょうか。
その辺りは、この十数年の脳科学の進歩によって、実証されています。やはり脳の『前頭葉』の働きがすごく大切で、その前頭葉が機能して行くためには、やりたいことをやるだけではダメで、『我慢する経験』『断念の経験』ということも必要なんです。
その『断念の経験』や『我慢の経験』というものが、やはり先ほど申し上げたように、『一つの枠、基準が確固としている』というものだった時には、子どもも我慢できるんです。」
– ルールがはっきりし、さらに子どもが尊重され、自由にやりたい活動をできているから、我慢することも受け入れられるわけですね。
(松浦学園 モンテッソーリ子どもの家、環境から色を集める活動をする子ども)
過程と結果
– 先ほどモンテッソーリ教育が「子ども中心」ということばが出てきましたが、一般的には「大人の考えが中心」で、「どうしても、早く子どもに成果を上げたい」気持ちが強いような気がします。
「そう。保護者はね、やっぱり『結果』を求めます。でも結果よりも、過程において『どのくらい子ども自身が主体になって、自分から何かをやろうとするか。』が本当ははとても大切なんです。
そして、教えられて何かをできるようになったり分かるようになったりするのではなくて、『自分でできるようになった!』という自信に繋がっていくような経験をたくさんさせてあげたいなと思うんですよね。」
(松浦学園 モンテッソーリ子どもの家、言語の活動)
– それをやっぱり急いでしまうので、小さくて「自分」というものがまだ確立してないかも知れないけど、「とにかく皆に合わせられるようになるようにしつけしなきゃ!」という焦りを感じてしまうように思います。
「そう。日本は、どちらかというと『個の確立』というよりも、『周りに迷惑を掛けないこと』『自分を抑えること』がしつけのように捉えられているんです。
その部分もちょっと意識を変えて行かないと、集団の中ではある程度良い子で生活ができるけれども、本来一人一人の子どもが持っている素晴らしい能力っていうものが発揮されていくかというと、埋もれたままで終わってしまうような危険性も出て来ます。」
– 「個の確立」よりも「集団の中で自分を抑える」ということが重要視されているからですか。
「はい。今、それが過渡期なんじゃないかという気はするんですよね。日本の古くからの子育てや伝統という素晴らしいものがあって継続して行かなければいけない部分もある一方、『捨て去るべきところはどういうところかな』『改善しなければいけないところはどういうところかな』ということを考えて行く必要もあるという点での過渡期です。
そうしないと、世界の中で日本だけポツンと取り残されてしまうかも知れないという危機感を持っています。」
「習い事」について
– 最後に、小さい頃から習い事している子がとても多いと思うのですが、その際にどんな点に気を付けたら良いでしょうか。
「もし習い事を大人の意思でやらされるとしたら、やっぱり覇気がなくなるんですよ。意欲がなくなって、子どもでも『疲れた。』って言います。
『疲れたって、4歳が言うことばじゃないでしょ!』と思います。幼児期の頃は本当に生きるエネルギーの塊ですから、もっと目をランランとさせてね、「今日は何をやってやろうか!!」という前向きな姿勢を皆、持っているはずなんですよ。
でもそれを私たち大人の思いで『こんなこともやらせたい。』『あんなこともやらせたい。』『いろいろなことを経験させれば、その中から何か芽が出るんじゃないかな。』と考えるのは、誤っています。」
– なぜでしょうか?親としては、小さい時からなるべく沢山チャンスを与えて、どこかで芽が出て欲しいなと思うような気がします。
「習い事が多いことの弊害は、たくさんやっていると、当然辛くなる訳ですよ。そしてあまりに辛いと辞めさせるんですよね。
その経験から何を学ぶでしょうか。『あぁ、大変だったら辞めれば良いんだ!』『すぐ辞めちゃって良いんだ』ということを子どもは学んでしまうんです。
ですから、私が園長として、この園に通う保護者の皆さんに言ってるのは、『習い事は、何をやっても良いけれども、長く続けるということが始める際の必須条件になります」ということです。
ちょっとやらせて、数ヶ月で『もう大変!』と、簡単に辞めさせちゃうことになったら、それは子どものためと思ってやり始めたことが、実は子どもをダメにしているんです。
ですから、興味のあるものに行ってみて、子どもが本当にこれで長続きするのかどうか、本当に楽しいと思うのかどうか、ということを良く考えてから習い事はするのであれば、すれば良いと思います。
私たち『大人』(保護者も含めて、教師、全部の大人)が子ども達にしなければいけないこと、接する時に必要なことは、『これは意味のあることなのかな?』という、『根拠のある子どもとの関わり』なんですよ。それには子どもへの『知識』が必要です。
(松浦学園 モンテッソーリ子どもの家、感覚教育の色板の活動)
一番大切な乳幼児期に誤った経験を与えるということは、その子どもに対して非常に申し訳ないことなんです。『この子たちには生きる力がある!大丈夫!一人でいろいろなことができるようになる!』と心から信じることができれば、『習い事はそんなにさせなくても良いんじゃないかな』と考えられるようになると思います。」
松浦先生、ありがとうございました。次回は、「モンテッソーリ教育のこれから」と先生の目標についてお話をお伺いしたいと思います。
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