本企画では、養老孟司先生にお伺いしたお話を、3回に渡ってお届けします。
第1話 養老先生とモンテッソーリ教育
第2話 「同じ」と「違い」 (←今回はこちら)
第3話 子育てで一番大事な事
養老孟司先生
養老孟司先生は、誰しもがその名前を知る著名な研究者であり、ベストセラー作家です。現在も執筆・講演活動、ゾウムシの研究など多岐にわたって幅広くご活躍されています。
また、子育てについての著書もご出版され、講演会などでもお話をされていらっしゃいます。
今年(2017年)8月8日に東京で行われた「日本モンテッソーリ協会(学会)第50回全国大会」でも、基調講演で「ヒトの心とからだ ~ヒトと動物はどこが違うのか~」についてお話しされ、大好評を博しました。
インタビュー第一弾では、「養老先生から見るモンテッソーリ教育」についてお伺いしました。第二弾である今回は、モンテッソーリ全国大会の講演を踏まえてお話を伺います。
「感覚」と「意識」
ヒトと動物の違い
– 先生は、2017年8月のモンテッソーリ全国大会で「ヒトと動物の違い」についてこのようにお話しされました。
・動物(や小さい子ども)は、「感覚」で「違い」を捉えている。
・ヒトは、違うものを「意識」で「同じ」にする能力を持っている。
そして「大人になることは『違い(感覚)』よりも『同じ(意識)』が強くなることだ」と仰っていましたね。
「そう。感覚的に違う物を、意識の中で徐々に『同じにする』事ができるようになってきます。『言葉』はその能力の典型です。」
大人になる事は「感覚」よりも「意識」が強くなる事
– モンテッソーリ教育でも、6歳位までの「感覚の敏感期」を過ぎると、徐々に感覚への敏感さが失われていくと考えています。
先生のお考えでは「同じ」という「意識」が強くなっていくと、徐々に「感覚」が弱くなっていくのでしょうか。
「いつまでも『感覚』にこだわっていると、例えば代数ができなくなってします。数も『同じ』にする能力によるもので、同じを『=(イコール)』で表すでしょ。
でも本来、A=BのAとBは違うんだから。
北川一成っていうデザイナーがいます。彼は大変面白い人で、小学校の時に『あなたは特殊学級』って言われたそうなんです。
例えば、『高橋君が100円をもって70円の大根を買いに行きました、おつりはいくらでしょう?』っていう問題に、普通素直なら『30円』って答えるでしょ?
でも北川君はこう考えた。『初めてのおつかいに高橋君が行くんだよな。途中で駄菓子屋があって、40円の駄菓子買っちゃったら、残りは60円だから大根買えない。それでもしょうがないから八百屋行ったら、おじさんが顔なじみで、“高橋君、初めてのおつかい偉いね”って言って50円で大根二本くれるかも知れない。だからおつりは10円です。』って。」
– すごくユニークですね。
「そうしたら『知恵遅れだから特殊学級入りなさい』って言われたそうなんです。この例はちょっと極端だけど、感覚で『違う』と感じる事でも、意識の中で『同じ』と思えるようにならないと、社会生活がしにくくなるんです。」
幼児期の「感覚の敏感期」
– モンテッソーリ教育では、「感覚は世界の入口」と考えています。子どもの頃に、十分に感覚を使う事の重要性についてはいかがでしょうか?
「うん。これは、脳科学でもはっきり分かっています。『臨界期』って言って、生まれてから感覚を使う事によって、脳の枝の部分が整えられていくんです。」
– 幼児期に感覚を使う事によって、感覚が良くなるんでしょうか?
「幼児期に感覚を使う事で、その人の「特徴」を作ってしまうんでしょうね。
僕が調べていたのは、ネズミの「ひげ」です。あれは、神経が沢山来ている感覚機能なんですよ。哺乳類で感覚機能としての「ひげ」がないのは人間だけで、猿でもあるんです。
それでねずみの脳にも「ひげ」に相当する部分もちゃんとあって、毛の配列と全く同じように並んでいます。その脳の「バレル」がどの髭に対応しているかが、並びを見ると分かる構造になっているんです。でも生まれて1週間以内に髭を抜いてしまうと、バレルができてきません。でも大人になってから髭を抜いても、バレルはそのまま残ります。脳は髭がまだあると思っているので。
他の例だと、生後しばらく子猫を縦じましかない環境に入れておくと、大人になって横じまが見えなくなります。それは、脳みその反応を見ると分かるんです。横じまという規則がつかめなくなってしまうんです。」
– それをモンテッソーリ教育では「感覚の敏感期」と言っているんでしょうか。
「そうでしょうね、恐らくね。」
– 「感覚」を使う事によって、小さい時に完成した物が続いて行くんでしょうね。
「そう。それは、本当に細かい脳みその形まで決めてしまいますからね。はっきりした例だと、今言ったようなバレルみたいに。」
「知性」とは、感覚で「違い」を捉えること
– モンテッソーリでも「子どもの知性は区別する事から始まる」と言っています。それは、先生の仰っている「子どもは感覚で違いを捉える」という事と重なると思うのです。
「根本的には多分同じ事だと思う。『感覚』って『違い』がないと捉えられないから。普通の人は、虫は全部『虫』って言うでしょう?でも、本当は全部違うもん。同じ蜂でも色々ある。」
– 「感覚」と「意識」を対極のようにお話しされていたと思うのですが。実際には感覚を伴いながら、意識的に整理して行くのでしょうか。
「いや、実はそれは分けられないんですよ。その作業を我々は年中やっていますが、それが『世界を認識する』という事です。一番の問題は『最初に“違い”が分からないと、“同じ”にする事もできない』という事。」
– まずは「『感覚』で『違い』を捉える事から始まる」という事ですね。
「それをすぐに忘れちゃう!!特に都市生活は、それが目立っちゃう。」
「同じ」を突き詰めてきた社会
– 都会では「違い(感覚)」ではなく「同じ(意識)」からスタートしようという事ですね。
「そうそう。だからもう極端に、皆さん番号一つ(マイナンバー)になっちゃうんです。」
– 「同じ」を突き詰めていくと「番号さえあれば良い」「仕事でも対面のコミュニケーションよりもパソコンでのやり取りの方が楽」になってしまうんですね。
「後はノイズですから。コンピューターだって、顔色・機嫌・血圧とかを入れる予定になっていませんから。直接話すと、顔色とか表情とかがノイズになっちゃうんです。」
– 大人も「感覚」が相当無視されているという事ですね。
「オフィスは朝から晩まで、ずっと温度も明るさもずっと『同じ』な訳ですからね。丸の内と霞が関って似ているでしょう?都会のマンションから丸の内や霞が関のビルに通う毎日を送っている人がいたら、どう考えても何かが足りないんだよね。じゃあそれはなんだろう?
子どもにそれをやれって言ったらかわいそうだよね。そうすると足りない物は何かって、良く分かるんだよね。結局ね、『知覚』なんですよ。やっぱり今、『感覚』が相当無視されてるんだと思います。
だから都会の人には、一年のうち田舎で3か月くらい暮らすことを勧めています。まとまって3か月でも、一か月くらいずつバラしても良いけどね。お盆に帰る所を作ると良いと思っているんですよ。」
まとめ
養老先生による、「同じ」と「違い」のお話とは
・動物や小さい子どもは「感覚」で「違い」を捉えている。
・人は違う物を「意識」で「同じ」にする能力を持っていて、言語がその典型。
・大人になる事は「違い(感覚)」よりも「同じ(意識)」が強くなる事。
・「感覚」を使う事によって脳の枝の部分が整えられ、その人の「特徴」を作る。
・最初に「違い」が分からないと、「同じ」にする事もできないが、都会では「違い(感覚)」ではなく「同じ(意識)」からスタートしようする。
・現代社会では「感覚」が無視される傾向にある。
(第2話終わり)
最終回は、養老孟司先生に「子育てで一番大切な事」をお伺いします。
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