漫画家への道と、これからの夢 〜羽賀翔一さん インタビュー③〜


本企画では、羽賀翔一さんにお伺いしたお話を、3回に渡ってお届けします。

 

【第1話】売れっ子漫画家はモンテッソーリチャイルド!

【第2話】ベストセラー漫画家とモンテッソーリ第一人者

【第3話】漫画家への道と、これからの夢 (←今回はこちら)

 

 

『漫画 君たちはどう生きるか』の漫画家・羽賀翔一さん。2017年にマガジンハウスから出版されて以来、現在まで200万部を超えるベストセラーとなっています。

 

『君たちはどう生きるか』は、2018年の流行語大賞にもノミネートされました。羽賀さん自身も、様々なメディアに登場し今後ますますの活躍を期待されています。

 

現在32歳である羽賀翔一さんはどのような経歴の持ち主で、どのような経緯で漫画家になったのでしょうか。

 

モンテッソーリ教育で育った、モンテッソーリチャイルドである羽賀さんに、ベストセラー出版までの経緯と今後の夢を伺いました。

(聞き手 あべようこ)

 

 

 

教師志望から漫画家へ

大学ノートでデビュー!

– 羽賀さんのデビューのきっかけは、2010年に大学生としてノートにお書きになった「インチキ君」という作品だったそうですね。その後は順調にここまで来られたのでしょうか?

 

 

「一番最初に書いたものに担当編集者がつき、割と早くに、雑誌『モーニング』に掲載されて、そこまでは割と順調に進んだのですが、その後は苦労の連続でした。

 

漫画家としての技術がないという状態ということに、プロになってやっと気が付くというか・・・。でもそのことを事前にわかっていたら逆に最初の投稿もできなかったと思います。自分の中に勘違いがないと最初の一歩も踏みだせなかったりするので。」

 

 

国語の教師を目指すも…

– 大学時代は、先生を目指されていたとのことですが。

 

「はい。それまで僕は中高の国語の教師になろうと思っていました。教師を目指したのは自分が生徒として受けた授業に対して、自分だったらもう少し工夫するのにという思いや、保育園の教育現場で働く母と叔母、妹の存在や、4つ上のいとこが高校の国語の先生になった影響も大きかったと思います。

 

教育実習で行った高校で、得意な絵を使って授業をしようと工夫をしましたが、周りの反応は『高校生相手にそんな子供だましなことをしても!』というような感じで、残念ながらあまり評価を得られませんでした。」

 

 

– 羽賀さんの絵で授業が受けられるなんてすごく贅沢で羨ましいですけど…。

 

「その後、大学生の時に描いた漫画『インチキ君』を『モーニング』第27回MANGA OPENに投稿し、奨励賞を受賞したのをきっかけに、教師になることをやめて漫画家になりました。」

 

(『インチキ君』コルク)

 

 

 

ベストセラーが生まれるまで

名作を漫画にするという苦しみ

– そしてプロになられてから、下積み時代のようなものがあり、今回大ベストセラー『漫画 君たちはどう生きるか』の出版にいたったわけですね。偉大な原作があって、それを新たに漫画にするという作業はとても大変だったと思いますがいかがでしたか。

 

「当時『昼間のパパは光ってる』という漫画執筆も同時にやってはいたんですが、本来1年で終わる予定が、実際は2年かかってしまいました。」

 

「昼間のパパは光ってる」表紙

(ダムづくりに取り組む人々を描いた作品。『昼間のパパは光ってる』徳間書店)

 

– どんな部分が一番難しかったのでしょうか。

 

「まずはネーム(漫画のコマ割り、構図、セリフ、キャラクターの配置などを大まかに表したもの)を決めるのが一番難しいところで、担当編集者の柿内芳文さん(※『嫌われる勇気』『さおだけ屋はなぜ潰れないのか』などヒット作で知られる編集者)と話しながら1年かけてやっていました。

 

柿内さんとは、『原作をただトレースするのではなく、再構築し、キャラクターを新しく生み出す、ということを絶対やらないと成立しない』と、最初から話していました。

 

僕は吉野源三郎さんの原作を知らなかったので、柿内さんから原作の文庫本を渡される際『最初にどういう風に思ったかということを大事にしてほしい』と言われました。だからこそ読者の人と同じ地平に立って、取り組めたというところはあると思うんです。」

 

インタビューに答える羽賀翔一さん

 

「そして『昼間のパパは光ってる』はデジタルソフトを使って描いていたのですが、この作品はデジタルの質感は合わないだろうなと思って、アシスタントもほぼ使わずにアナログ(手書き)で描きました。」

 

 

2年間の執筆・・・もうやめたい!

– ネームで一年間、そして手書きでもう一年間は、結構長い闘いだったのではないでしょうか。

 

「『漫画 君たちはどう生きるか』の作業工程で最も難しかったのが、ネームを一冊分、1年かけて描いてから、『じゃあまた清書ね』と始まった時です。僕にとって、そういう作業は初めてのことでしたし。」

 

– 普通は何ページかのネームが完成したら、その部分だけ清書するんでしょうか。

 

「そう。ネームの熱を持ったまま、ある種、その世界にもぐっている状態のまま作画にいけるんです。でも今回はネームの1年間が終わった瞬間、一回気持ちが離れてしまったというか、もう一回入っていくというのが少し辛かったですよね。笑」

 

– 2年間の間、途中で「もうやだ!」とかは思いませんでしたか?

 

「何回も思いましたね!笑」

 

インタビューに答える羽賀翔一さん

 

「投げ出したい!と思ったこともありました。でもそれをしちゃうと、情けないし、その話をくれた、最初に僕を推薦してくれた編集者の原田さん(※一番最初に出版元のマガジンハウスに羽賀さんを紹介した、講談社の編集者)に申し訳ない。原田さんが完成前にご病気で亡くなってしまったということもあり、完成した漫画を読ませられなかったと落ちこんだりもしましたが…なんとか描けてよかったと思います。」

 

– その結果、素晴らしい形で出せ、多くの方に喜んでもらえましたよね!

 

「僕のような、まだ何の実績もない漫画家を周りがよく待ってくれたなということを感謝しています。」

 

– 皆が「羽賀さんならやってくれる!」と信頼し、信じて下さっていたんですね。

 

 

モンテッソーリで培ったあきらめない気持ち

今回、羽賀さんのインタビューに向けて、叔母であり、羽賀さんの通われたモンテッソーリ園の園長(現つくばトッポンチーノ保育園園長)でもある三上恵子先生より、エピソードを頂いておりますのでご紹介いたします。

 

~翔一はのどかな環境に抱かれながら、陽だまりでいつも手を動かし、何かを描いていました。時には好きな人気アニメの模写だったり、自分なりのストーリーに絵をつけたり。誰の束縛もなく、手を動かしていたのです。まさに集中現象かと思うほどの、一定のリズムを刻んだ鉛筆を運ぶ音は未だに忘れられません。

 

幼児期は愛される喜びと安堵感にあふれた環境こそが、人の心を育み、新たな人として自発的に進みゆく子どもの背中を押してくれます。翔一は「幸福感」に包まれながら「自分の存在が周りの人を幸せにしている」と思いながら突き進みました。このような信頼関係こそが自己を築く基盤になっていたと思います。

 

翔一の姿で「子どもの家」での最高の思い出は、本人の「あきらめない気持ち」この強さを内に秘めた穏やかな姿です。そしてそんな姿に励まされながら、山ほどの気づきを与えてもらった私もまた、幸せな思い出を今の原動力にしています。

 

翔一の今につながる「やり抜く意地」は、「描く」ためのいくつもの方法を生み出すモンテスピリッツであり、きっとこの先も多くの方の心を揺さぶると信じています。~

 

(現つくばトッポンチーノ保育園園長:三上恵子先生より)

 

 

 

羽賀さんにとっての“おじさん”

– 『漫画君たちはどう生きるか』には、母子家庭で育つ主人公コペル君と、彼を傍で見守る、“おじさん”が出て来ます。羽賀さんご自身の姿と重なりあう部分はありましたか。

 

「僕は母子家庭で育って、そのそばには、いつも母の姉である叔母(現つくばトッポンチーノ保育園園長)がいました。叔母はある種、時には父親のような厳しさ、強さをくれながら、楽しい時間とか家族の絆を教えてくれました。それを言葉で言うのは難しいのですが。」

 

– まさに“おじさん“のような存在がいらっしゃったということですね。

 

「それはあると思います。メンターのような。」

 

– 親じゃなくても、自分をちゃんと見て意見をくれる存在って、貴重ですよね。

 

「そういう人たちには恵まれてきたと思います。編集者もそうですし。」

 

(右:いとこ達と多くの時間を共有した羽賀さん。)

 

 

子どもにも許されるべき、あの感情

– この記事を読まれる方は何らかの形で子どもと関わっている方も多いと思います。教師を目指されたこともある羽賀さん自身が、子どもと関わる際に気をつけたいことなどはありますか?

 

「僕が子どもの頃、5歳位の時にすでに『なつかしい』という感情を味わっていました。で、その感情は大人だけが持つものだと思いがちだけど、そんなことはなくて、3歳4歳の子だって『なつかしい』と思う感情はあると思うんです。

 

大人が勝手に『子どもはこういう風に思わないはず』『こういう感情は持たないだろう』とか、決めつけずにどんな感情も認めたい。感情を持つこと自体は正しいことだから、子どもと関わることがあったらそれを受け入れられるような関わり方はしたいな、と思います。」

 

 

(左から二番目:羽賀さんと、いとこ達)

 

– 漫画でも、子供の登場人物たちが様々な感情を持つ様子が表現されていますよね。漫画とは羽賀さんにとってどんな存在ですか?

 

「子どもの頃に両親が離婚して苗字が変わりました。その離婚前のおもちゃには、前の苗字が書かれていて、それを見た時にすごく不思議な感覚でした。同じ人だけど、違うように感じる名前って不思議だなって。」

 

(野球少年だった羽賀さん)

 

「最初に描いた漫画“インチキ君”も名前の話なんですけど、悶々と考えていることとか疑問に感じていて腹落ちしないことを、漫画を描くことで理解したいという欲求が多分自分の中にあると思うんです。漂っている疑問を言語化する手段が、きっと漫画なんです。

 

インタビューに答える羽賀翔一さん

 

 

 

羽賀翔一さんのこれから

ファンタジーから日常への気づき

– 最後にお伺いしたいのですが、羽賀さんの今後の夢はなんでしょうか。

 

「『漫画 君たちはどう生きるか』のように、敷居は低いんだけどそれをまたぐとすごく深くて広い世界があるというものを作りたいと思っています。子ども達でも読める、でも単純ではない。複雑な物をシンプルにしたいんです。

 

ファンタジーマンガも選択肢の一つ。『ケシゴムライフ』では、日常のものを描くことで、日常の中での気づきを読者が持ってくれたらいいな、と思っていました。でも今は逆に”非日常”を描くことで、読者が日常に対してフィードバックできる、そのジャンプ、跳ね方ができるとより面白いものになるんじゃないかな、という気はしています。」

 

「ケシゴムライフ」表紙

(オムニバス形式のデビュー短篇集『ケシゴムライフ』)

 

 

“同じ景色が違って見える”作品づくり

「漫画の一番の魅力は、すらすら読める、読みだしたらとまらないということ。それが漫画の理想だし、それを保ちながら、でも本を閉じて顔をあげたら、いつもの景色がちょっと違って見えるというそういうものがやりたくて

 

養老孟司さん(※当サイトのトップランナー第一回に登場)も「同じ景色が違って見える」と言われてますけど、それが一番面白いことだと思います。

 

わざわざ海外まで行って自分発見する必要なんかなくて、日常の中に色々な物にヒントがある、という考え方がすごく好きなんです。そして良い本を読んだ後って、景色の中で拾える情報が増えると思うので、そういう感覚が持てる作品を作りたいなと思っています。

 

普段だったら見落としてしまっているようなものを、光の中でまっている埃に感動できるとか、荷物を持ってあげられなかったことにしっかり後悔できるとか。そういう小さな感情に気づかせたい。意外と自分自身が、しっかりと自分自身の感情に気が付けていないことって多いと思うんです。」

 

インタビューに答える羽賀翔一さん

 

– 今後も羽賀さんの素敵な作品を読めることを、1ファンとして心から楽しみにしております!!

 

本当にありがとうございました。

 

 

羽賀翔一オフィシャルウェブサイト

http://hagashoichi.com/

 

羽賀翔一さんの所属するクリエイター・エージェント 

株式会社コルク

https://corkagency.com/

 

羽賀翔一さんの育ったモンテッソーリ園

つくばトッポンチーノ保育園(旧:つくばモンテッソーリ子どもの家)

http://topponcino-monte.com/

 

 

 

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